本文中の聖句は日本聖書刊行会発行の新改訳聖書より引用。画像は著作権切れ等のパブリック・ドメインのものを使用しています。 最新記事へ
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[ 映画「パッション」関連 ] 宗教映画としての「パッション」
Track back(0) | 2004年05月09日Clip!!

 きのう“首の皮一枚”の名画とイチャモンをつけたその舌の根も乾かぬうちになんですが、いろいろ思いを巡らした結果、やはり「パッション」はあれでいいのかなという気持ちに傾いてきました。すみません、勉強中なのでコロコロ意見が変わりますm(_ _)m

 詰まるところ、「パッション」はエンタテイメント映画ではないのですよね。(“本質的には”という意味で、もちろんメル・ギブソン監督はエンタテイメント性にも留意しています)。「パッション」は完全な宗教映画。昔で言うところの宗教画や聖人像など、(もちろん信仰の“対象”ではありませんが)キリスト教の信仰を確認し、強める上での助け手となるものです。
 メル・ギブソンも最初から宣言しています。「伝道目的でこの作品を作った」と。

 例えば、ドイツのオーバーアマガウで10年に一度、住民総出でキリストの“大”受難劇があります(参照)。今でこそ世界的に有名な催しとなっていますけれども、元々は17世紀にこの地を襲ったペストからの救済祈願として行われるようになったもので、娯楽の為ではありません。

 また、中世から盛んになった聖地巡礼で、イエスの逮捕から埋葬に到るまでの14ポイントの場所で祈り、受難を追体験するという風習もあります。これは「十字架の道行き(Via Dolorosa)」というカトリックの祈りの一形態で、「パッション」の“道行き”シークエンスでもまさにこの14ポイントを完璧に踏襲しているのですね。

  1) 死刑判決
  2) イエス、十字架を担う
  3) 倒れる(1回目)
  4) イエス、聖母マリアと出会う
  5) クレネのシモン、イエスの十字架を代わりに担う
  6) ヴェロニカの布で顔を拭う
  7) 倒れる(2回目)
  8) イエス、エルサレムの婦人に言葉をかける
  9) 倒れる(3回目)
 10) イエス、裸にされる
 11) 十字架にかけられる
 12) 息を引き取る
 13) 遺体が十字架から降ろされる
 14) 埋葬

 (聖書に固執するプロテスタントとしましては、道行きでイエスが倒れるのはせいぜい1回という認識でおりますので、映画を観ていて「よくもまぁ何度もぶっ倒れるなぁ」と少々驚いたのですが、↑を知ってナルホドという感じです)

 ですから、「パッション」は一カトリック信者であるメル・ギブソンの“祈祷”そのものであり、クリスチャンはメルと共にキリストの受難を追体験するという、一大宗教イベントの為に劇場に足を運んでいるのですね。
 以前に The Christian Science Monitor の記事の「『パッション』はただの映画ではなく、宗教的体験である」という部分にイチャモンをつけたことがありましたが、私の感じた「なんだかな〜」という思いは、結局のところ、私の無知と、プロテスタント側からのカトリックに対する“違和感”から生じた部分が大きかったということなのかもしれません。The Christian Science Monitor の評価は全くもって妥当です。

 もちろんプロテスタントであっても“キリストの贖いの死”に対する思いはカトリック信者と何ら変わるところはありません。アメリカなどはカトリックよりもプロテスタント人口のほうが圧倒的に多いのでして、かの国での熱狂ぶりを聞くだに、プロテスタント信者にとってもこの映画がいかに「特別」であるかを痛感させられます。

 しかし、改めてそういう観点から海外での「パッション」熱を眺めてみますと、ますますキモチワルイと感じられなくもなかったりするのですが。いや、私もクリスチャンですし、クリスチャン的には「喜ばしいこと」なのかもしれませんけど、個々のクリスチャンはともかくとして、集団になるととたんにカルトになりがちですからねぇ。まぁ、その話はまた別でするとして――。

 「パッション」を宗教映画としてくくるならば、前回の私の感想は全くフェアではないというか、トンチンカンであるとしか言い様がないし、極論を言えば「キリスト教徒や求道者以外は観るな」的な作品であるということになります。そこまで極端ではないとしても、元々“観客はキリスト教の素養がある”ということを前提にして作られた映画ですから、キリスト教に馴染みのない方の中にはそういう“疎外感”のようなものを感じられた方もいらっしゃるかもわかりません。

 だからこそと言ったら大袈裟ですが、トンチンカンであることは認めつつも、あえて前回の感想は撤回しないでおこうと思います。宗教映画かもしれないけれども、あくまでも普通の映画として「パッション」を扱いたい。突っ込みドコロも結構あるけど、いい映画だよと言い続けたいと思います。

 なぜなら、キリスト教の信仰がなくても、イエスを神だと認めなくても、彼の死は宗教や思想を超越した普遍的な命題として我々の心に訴えかけてくるからです。「キリスト教のことなんてわからないから」「この映画にうっかり感動したら“勧誘”されそうう」「非クリスチャンはローマ兵だと暗に言われているようで不快だ」なんて、クリスチャンでない方々に思わせてしまうとしたら、それはとても残念なことです。それこそイエスの精神に反することだと思うのですよ。自戒を込めて言いますが、我々クリスチャンの反省すべき点は、ややもするとクリスチャンとノン・クリスチャン、内の世界と外の世界を意識しすぎて、無意識のうちに相手を見下したり排斥したりしてしまいがちなところにあります。

「汝の敵を愛せよ」とは、「何人たりとも敵とするな」という意味だと思うのです。

 イエスが「父よ、彼らをお許しください。何をしているかわからないのです」と祈ったのは、自分を高みに上げて相手の許しを請うて“やる”というのではなく、釘を打ち込むローマ兵であっても嘲笑する群集であっても「それでいい」としたからだと思うのです。

 私はそこにイエスの“贖い”の意味があると考えているのですが……。

 「パッション」は宗教映画の名作です。そして、重いテーマを持つ娯楽映画としても、良い仕事をしたと思います。


◆---サイト内関連リンク---------------

「パッション」賛否両論リンク集
「パッション」は“良い仕事”をした(鑑賞直後の感想)
“首の皮一枚”の名画「パッション」


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